父親は私の全てだった

一番の理解者で、一番の味方

 私は19歳の時に父親を失った。彼の死因は病死だ。

 彼は私の一番の理解者だった。彼を失い、心にぽっかり穴が空いた。

 私にたくさんのことを教えてくれて、いつでも私の味方でいてくれた。私を否定せずに肯定してくれた。

 ――あまりにも早い別れだった。彼を失って、彼の跡を追うことを何度も考えた。狭い世界で生きる私を照らす光が彼だった。

 居場所がない。

 私は彼以外の誰からも愛されていない。

 そう思い込んでいた。

 ところで、父親の病気が原因で両親は離婚する。

 離婚後、私は母親に引き取られた。

 私が中学生の時だ。

 あの当時、家族――特に祖父が私を酷く嫌っていた。

 「この家から出ていけ! 」

 「そんなにも死にたいのならば、今すぐ死んでこい!」

 母親も祖母も祖父の味方につく。

 私の意見を聞かない家族。

 ある日のこと。

 とある事件から情緒不安定になり、大学休学の意思を伝えた。

 そうしたら、祖父が「大学を退学しろ。お前に大学生活を送ることは到底無理だ」と大学休学を許可してくれない。

 説得しても「駄目だ」の一点張りだ。母親も祖母も祖父の味方につく。激昂した私は家族を罵倒した。

 高卒よりも大卒の方が有利である。無知な家族はその事実をもちろん知らない。学歴で人生が決まる。

 家族の行為が私の人生を破壊した。当時を思い出すと、家族への憎しみが際限なく湧く。

 見ての通り祖父の意見が全てで、私はまるで空気のようだった。

 大学中退後、大学を退学した(させられた)旨を父親に報告した。それを聞いた彼はたちまち気色ばむ。

 父親は母方の家族への怒りを露わにした。

 直後、「……莞爾。俺にそのことをどうして事前に相談しなかったんだ」怒りと困惑が入り混じった声でそう漏らした。

 「……莞爾が1人で抱え込まなければ、俺はお前を助けられた」

 その言葉を聞いた瞬間に私は泣きたくなった。

 ――父親はいつでも私の味方でいてくれた。

 ――大学を卒業する重要性を私に教えたくれたのも私が自分に自信を持てたのも全て彼のおかげだ。

 彼は私の全てだった。

父親だけ見ていた

 今までの私は父親だけ見ていた。

 ところで、父方の家系はエリートだ。地元の偏差値が70を超える進学校を卒業した親戚が多く、関関同立に進学した親戚が何名もいる。

 職業が保険外交員だった親戚また、放射線技師の親戚など高度な職業に従事する親戚もいる。

 父方の家系はとにかくエリートなのだ。

 それだけに私は父方の家系――父親ばかり見ていた。

 ちなみに、父親は有名企業に就職し、そこで商才を遺憾なく発揮して、賞をいくつも受賞した。コンビニの店長も務めた。

 培った経験を活かし、私に人生訓を語った。

 私は彼に心酔した。父親といると、母親がつい幼く見える。彼女は私の全てを否定して、すぐヒステリーを起こす。

 一例を挙げると、家族3人で野球観戦に行った時に母親が突如怒り狂い、「帰る!!」と喚いて、私と父親を困らせた。

 当時の私は母親と過ごす時間が苦痛だった。

 現在の私はそうではない。

 母親と真摯に向き合い、母親にしかない魅力に気がついた。

 だが――、母親にしかない魅力に気がついても私自身、父親に心酔した状態がいまだに続いていることを感じていた。

 私は彼を神格化していたのだ。

 そんな私を見兼ねた父方の親戚が私に「莞爾はお父さんに縛られすぎだ。お父さんが死んでからもう4年になるんだぞ」と厳しい言葉をかけた。

 彼の言葉を聞き、はっとした。

 そうか。

 父親が亡くなって、もう4年の月日が流れたのか。

 彼が亡くなった時、私は19歳だった。あれから4年の月日が流れて、私は23歳になった。

 父親という名の鎖を断ち切る時が訪れた。

 目覚めた私は父親の姓から母親の姓に改姓した。父親の姓は私と彼を繋ぐ鎖だった。それを断ち切ったのだ。

 私、父親と母親が写る家族写真を見る。

 それを見ると、様々な思い出が蘇り、涙腺が緩むのだ。

事故、仕事、病気、死別

 父親は私が産まれる前にバイク事故を起こし、重傷を負うが、一命を取り留めた。

 しかし、バイク事故の後遺症による開放骨折で脚がO脚に変形した。

 長距離を歩けない。

 手摺りを持たないと、階段を昇り降りできない。

 だが、それでも、仕事に行っていた。体を酷使して、家族のために一生懸命に働いた。父親は仕事人間だった。

 有名企業を退職後は職を転々とする。

 まさに渡り鳥家業だ。

 私は彼を見て、一意専心の重要性を学んだ。

 ところで、渡り鳥家業との表現から分かる通り、彼は飽き性な人だ。

 パソコン教室に通うものの、途中で飽きてしまい、そこへ通わなくなる。

 タクシー会社に就職して、二種免許を取得するものの、そこを早期退職する。

 彼にはそうした一面があった。

 ――さて、家族のために働き続けた父親の体を病魔が襲う。

 私が中学生だった時、父親は急性骨髄性白血病を発症する。

 仕事から帰ってきた父親は「鼻血が止まらない」と私と母親に訴える。彼を見ると、大量の血液が白色の上着に付着していた。

 至急かかりつけ医に診てもらう。血液検査で異常と診断されたため、紹介状を持参して、総合病院を受診することになった。

 翌朝。

 家族で総合病院に行き、父親は診察を受ける。その結果、急性骨髄性白血病と診断された。

 この日から父親の闘病生活が始まる。

 6年にも亘る闘病生活だった。長いようで短い。

 快方に向かう。が、病状が悪化する。帯状疱疹の症状が現れて、深夜に救急車を呼ぶ。彼の体は弱っていた。

 また、歩行器を使わなければ、歩くこともままならなかった。

 2019年の上旬。

 父親はデイケアに通い始める。

 そこの体調管理ノートが実家にある。そのノートには日に日に弱る父親の記録が残されている。

 体重減少、食欲低下――。

 目も当てられない。

 そうして、1月、2月、3月、4月、5月と5カ月の月日が流れた。父親と最後に会話を交わしたのは5月の終わり頃、入院先の病院だった。

 痩せ細る父親。しかし、口達者で、1カ月後に息を引き取るとは思えないほど元気だった。

 「莞爾。元気か?」

 「うん!」

 父親は微笑んで、「……そうか。莞爾が元気なこと。それが俺の幸せなんだ」穏やかな声でそう話した。

 父親の手に触れる。

 華奢で細い指に触れた瞬間、胸が傷んだ。

 それから、父親と最後の会話を交わした数日後に私は地下鉄に飛び込み、自殺を図る。

 幸いにも頭部強打と右腕の怪我で済む。命に別状はない。

 ――父親が亡くなったのは、彼の幸せを破壊する行為に及んだ罰なのかもしれない。

 私が自殺を図った数日後、父親が危篤状態に陥る。私と母親がその一報を聞かされたのは夕刻だった。

 父親の入院先の病院まで母親は車を走らせる。私たち2人が父親の病室に入ると、父方の親戚と祖母が彼の介護ベッドを取り囲んでいた。

 私たち2人は彼の元に駆け寄る。

 「お父さん!! お父さん!!」

 父親の名前を私は連呼した。

 涙が頬を伝い落ちる。

 父親の名前を連呼する私に親戚の男性が「――莞爾。お父さんをそろそろ解放してあげよう」と言った。

 私は口を噤み、介護ベッドから離れた。

 父親は私たちの到着を待っていたように直後、息を引き取った。心電図の波形が一直線になる。

 ――父親が亡くなった。

 ――私の一番の理解者で、私の一番の味方だった父親が亡くなった。

 涙が止まる。

 父親の顔は安らかだった。

 翌日。

 父親の通夜が営まれ、その翌々日に葬儀が営まれた。葬儀の後に彼の棺が霊柩車に乗せられ、火葬場まで搬送された。

 そうして、火葬直前。炉前で親族と共に私は僧侶の読経を聞きながら、死化粧が施された父親の亡骸をずっと見つめていた。

 その後、父親の遺体が火葬され、親族たちと彼の遺骨を箸で拾い、骨壷にそれを収める。

 現実を受け入れる。

 その難しさを痛感した。

 ――父親が亡くなり、4年の月日が流れた。

 当時19歳だった私は23歳になった。

 父親のことを思い出すと、今でも涙をぼろぼろと零す。

 彼だけが私を肯定してくれて、彼だけが私を認めてくれたとずっと思っていた。

 彼を喪ってから1人ぼっちの世界を生きているような気がしていた。

 ――違う。

 大丈夫、悲しまなくてもいいの。

 大丈夫、嘆かなくてもいいの。

 あなたは1人じゃない。

 そのことを忘れないで。

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美容外科に行った

美容整形

 1月18日。

 その日、美容外科に私は行った。

 右目の二重瞼の調子が悪いからだ。

 朝に目覚めると、右の二重瞼が一重瞼に戻っている。

 その原因は二重埋没法の糸が緩んでいるからだ。

 起きて、化粧鏡を手にすることが私の日課になった。

 化粧鏡に映る自分の右の二重瞼を見ては憂鬱な気持ちになって、溜め息を吐く。

 ――化粧鏡に映る自分を見つめていると、自分が次第に醜女に見えてくる。

 化粧鏡を伏せて置く。

 美人に生まれたかった。

 自分の顔を鏡で見た後には必ずこう思う。

 思えば、私の人生を拘繋しているものは人ではなくて、「容姿」だ。

 顔が整っていて、痩せていると、人から優しくしてもらえる。

 顔が整っていて、痩せていると、人から愛してもらえる。

 顔が整っていて、痩せていると――……。

 こうした考えが浮かび、私は容姿に――殊に顔に拘泥するようになった。

 私が容姿に囚われたきっかけは、バイオレンスな元彼に姿形を罵倒されたことが原因だった。

 「お前みたいなブスと付き合ってやっている俺に感謝しろよ」

 「せめて二重瞼にしろよ。そうしたら、お前のことを愛してやるから」

 美しくなれば、彼にこのように罵倒されることがなくなり、更には彼に愛してもらえる。

 彼に、彼に愛されたい!

 そうして、彼に愛されたい一心で美容整形を私は決意した。

 余談だが、ZOCの「断捨離彼氏」を聴きながら、この記事を執筆している。

断捨離彼氏

断捨離彼氏

  • ZOC
  • J-Pop
  • ¥255

 それはともかく「二重 整形」で検索すると、様々な美容外科のサイトがたくさん表示された。

 美容外科ならば、どこでもいい。

 当時の私は美容にそれだけ無頓着だった。

 ちなみに、美容整形において美容外科の選択は人生を左右する。

 それだけに、美容外科の選択は慎重に行わねばならない。

 話を戻す。

 たくさん表示される美容外科のサイトで私の興味を引いたのは、品川美容外科のサイトだった。

 品川美容外科のサイトを開く。

 二重術ナチュラル法二重術ナチュラル法(二重埋没法) | 二重(ふたえ)・目もとプチ整形の埋没法なら品川美容外科【全国版】という名前の美容整形があることを知った。

 会員価格は約8万円で非会員価格は約12万円。

 価格を見て、美容整形はやはり高いと思った。

 だが、支払えない額ではないし、12万円を支払い、二重瞼になって、人生が大きく変わるのならば――、彼に愛されるのならば――、この施術を受けたい!

 気持ちが燃え上がる。

 元彼に愛されたい一心で二重術ナチュラル法の施術を受けることを決めた私は、品川美容外科のカウンセリングを予約した。

 その後、品川美容外科を訪れた。

 受付へ行くと、美人な女性クラークが私を担当した。

 そこで手続きを済ませて、彼女から番号札を受け取った。

 ――美容外科を訪れる。

 この経験が私を狂わせた。

 番号が呼ばれるまで待合室の椅子にそわそわと座る。

 辺りを見回すと、数名の患者が椅子に座っていた。

 「○○番の形。中待合室へどうぞ」

 女性クラークに中待合室へ通される。

 中待合室へ移動して、そこに設置されたソファに腰かける。

 眼前にある可愛い卓上カレンダーの数字を見つめながら、女性クラークがやってくるまでじっとしていた。

 数十分後、彼女が私の所にやってきた。

 「診察室に行きましょう」

 彼女はそう言って、診察室へ私を連れて行った。

 診察室のスライドドアを彼女が開く。

 どきどきしながら、診察室に私は入室した。

 そこにいたのはパイプ椅子に座る若々しい男性医師だった。

 ところで、その男性医師はそこの院長だ。

 私は彼を最も信頼している。

 美容整形に迷いを生じる時に私は彼を真っ先に頼る。

 話を元に戻す。

 「こ、こ……こんにちは……」

 吃る私に彼が「  はい。こんにちは」爽やかな笑顔で挨拶した。

 挨拶が終わり、彼が「今日の施術内容は二重術ナチュラル法ですね」カルテを見て、内容を確認した。

 「そ、そうです」

 俯き、返事をする。

 彼が「今からシュミレーションを行うので、顔を上げてね」優しい声音で指示した。

 顔を上げる。

 彼に手鏡を手渡されて、「自分の目をこれでしっかり見て」と言われた。

 私は手鏡を持ち、手鏡に映る自分の顔をおずおずと見る。

 彼は銀色の細い棒を使い、私の二重幅を調節し始めた。

 「……うん。あなたの場合は末広型二重がいい。二重幅が広すぎると――、平行型二重だと、あなたの場合はおかしな二重になるからね。狭すぎず広すぎないこの二重幅がぴったりだ」

 うんうんと彼は頷く。

 彼が提案した二重幅はごく自然な二重幅で、まさにナチュラルな二重だった。

 末広型二重は東洋人に相応しい二重で平行型二重は西洋人に相応しい二重だと言われている。

 「よし。これで施術しましょう」

 彼は莞爾として笑う。

 彼の笑顔につられて、私も微笑んだ。

 カウンセリングが終わり、診察室を出て、女性クラークと共に中待合室へ踵を返す。

 以降は彼女の説明する二重術ナチュラル法の注意事項を聞いた。

 それから、会員価格の8万円をキャッシュで支払った。

 支払いが完了し、領収書と説明書が入った封筒を彼女から受け取る。

 その後は顔の汚れを落とすため彼女にパウダールームに案内された。

 そこでクレンジングと洗顔をささっと済ませて、女性クラークを呼んだ。

 準備万端だ。

 全てが終わると、今度は看護師がやってきた。

 看護師と私は手術室へ続く通路を進む。

 ついに手術室にやってきた。

 胸が早鐘を打つ。

 私の人生が今日で変わる。

 二重瞼の自分を想像すると、興奮した。

 手術室に入る。

 小ぢんまりした清潔感のある室内で、様々な医療器具が左側に設置された薬品棚にきちんと収納されていた。

 手術台で仰向けになる。

 看護師に顔全体を布で覆われて、局所麻酔を鼻から注入される。

 次第に意識が朦朧とし始めた。

 「麻酔が効いていますか?」

 「ふぁい……」

 呂律が回らない。

 眠気を誘うヒーリングミュージック。

 私の視界が暗闇に覆われた頃だ。

 「お待たせいたしました」私のカウンセリングを担当した男性医師が手術室にやってきた。

 彼の声ではっとする。

 一方で局所麻酔で全身がふわふわする。

 ぼうっとする意識――ああ、何も考えられない。

 薄目を開く。

 視界に入る無影灯が眩しい。

 眩い無影灯を遮るかの如く男性医師が私の双眸を見る。

 彼は手術帽を被り、マスクを装着していた。

 「では、今から局所麻酔を打ちますね。少しちくっとしますよ」

 彼はそう言って、私の両瞼に局所麻酔を注射した。

 ……これ、少しどころかかなり痛い。

 あまりの痛みに体が強ばる。

 「体の力を抜いて。リラックスして」

 彼が穏やかな声色で私に指示する。

 否、リラックスしろと言われても無理に決まっている。

 彼が局所麻酔を抜針した。

 痛みが和らいで安堵する。

 「よく頑張りましたね。これが終わると、次は全く痛くありません」

 彼の言葉が私を安心させる。

 局所麻酔が終わり、まず私の左瞼に彼が糸を通し始めた。

 通した糸を瞼に留めてゆく。

 剪刀でちょきちょきと糸を切る音と、ヒーリングミュージックが交互に聞こえて、心地よかった。

 左瞼の施術が終わり、右瞼の施術が始まった。

 彼は二重瞼のプロフェッショナルなだけあって、手際がいい。

 右瞼の施術もあっという間に終わった。

 「はい。終わりましたよ。今は腫れていますが、1週間経てば、腫れが引いて、1カ月後には綺麗な二重に仕上がります」

 彼から説明を受けた。

 看護師に手鏡を手渡される。

 起き上がり、施術後の自分の両目を手鏡で確認した。

 手鏡に映る自分の腫れ上がった両目は、まるで試合後のボクサーのようだった。

 この腫れが引いたら、綺麗な二重に仕上がる。

 今は見るに堪えない双眼だが、1カ月後にはこれがすっかりと落ち着いているだろう。

 美容整形における腫れが引くまでの期間をダウンタイムという。

 施術を済ませた男性医師が「お疲れ様でした」と話し、手術室から出て行った。

 以降は薬を処方してもらい、品川美容外科から私は立ち去った。

 以後、ぱんぱんに腫れた目で帰宅することが本当に恥ずかしかった。

 更には内出血を起こしたため、紫色のアイシャドウを塗りたくったようだった。

 ダウンタイムが地獄だった。

 また、自分が美容整形を舐めていたことを思い知らされた。

 私がダウンタイムから開放されたのは約1カ月が経った時だ。

 目の腫れがほぼ引いて、形の綺麗な二重が形成されていた。

 (整形を強要した)元彼が「莞爾、美人になったな」と私を褒めた。

 振り返れば、あの元彼は私の中身をまるっきり見ていなかった。

 私の外見しか見ていなかったのだ。

 あんな野郎に惚れ込んでいた自分をぶん殴りたい。

 そう。

 両瞼の二重に端を発して、私は美に執着し始める。

 美への執着が身体醜形障害と結びついた。

150万円を溶かす

 両瞼を二重にして以降、元彼が私に優しくなった。

 私に罵詈雑言を浴びせることをやめて、甘い言葉を囁くようになった。

 本気でそれが気持ち悪かった。

 一方で、私は気づいてしまう。

 美しければ、人から愛されるということに。

 美ければ、人から大切にしてもらえるということに。

 愛に飢えていた。

 人から大切にしてもらいたかった。

 整形したい――……もっと、もっと整形したい!!

 ――この肥大化した欲求が私を破滅へ導いた。

 話が変わる。

 ある時、私は家族と大喧嘩してしまう。

 結果、私は家出することになった。

 その時に定期預金の150万円を引き出す必要に迫られる。

 そうして、私はそれを引き出すことになった。

 大喧嘩の末に家出した私は真っ先に銀行へ向かった。

 そこで定期預金を引き出すための煩雑な手続きを1人で終わらせて、定期預金の150万円を引き出した。

 150万円という大金を引き出した私は次に不動産屋へ行った。

 一人暮らしを始めるためにアパートを契約しようと考えたからだ。

 不動産屋にやってきた。

 そこで店員と話を交えてからアパートの下見に行った。

 レオパレスのアパートだ。

 店舗に戻り、そのアパートを契約したい意思を不動産屋の店員に伝えた。

 当時の出来事は今ではうろ覚えだ。

 ただ、アパートの契約が完了するまでの間は元彼とアパホテルで過ごして、アパートの入居審査でごたついたことは覚えている。

 以降、入居審査に通る。

 敷金礼金レオパレスに支払い、部屋の鍵を貰って、私の一人暮らしが始まった。

 150万円を少々使ったが、まだまだ余裕がある。

 ――家族と大喧嘩したことが果たして幸せだったのか不幸だったのか。

 しかし、家族と大喧嘩しなければ、定期預金を引き出すことができなかったし、自分の顔を好きになれないままだった。

 家族と大喧嘩した末に家出したこと。

 おかしな話だが、それをよかったと私は思う。

 ――さて、この大金が私を狂わせた。

 この大金を使い、至る所を私は施術した。

 目頭切開、鼻尖形成、クールスカルプティングとボトックス注射――。

 ヒアルロン酸注入、黒子除去と瞼の脂肪取りは後に行った。

 唇の厚み、鼻翼を気にして、医師にそのことを相談した。

 そうしたら、あなたの唇は分厚くなく、鼻翼はそれほど広くないので、あなたはそれらの施術を受ける必要がないと断言された。

 ――過剰なまでに美に執着した果てに150万円が底を突きた。

 底を突きた150万円。

 だが、それと引き換えに手に入れたこの容姿が私の人生を激変させた。

 元彼にますます優しくされて、愛されて(束縛が激しくなった)、元彼以外の人からも優しくされて、ちやほやされるようになった。

 だが、幸せなことばかりではない。

 現実は過酷だった。

 私は当時コンビニで働いていた。

 私の名字で埋まるシフト表。

 いくら働いても給料を生活費で消費してしまうので、それを貯蓄できなかった。

 容姿に囚われた先にあったものは生活に追われて、過労を余儀なくされた哀れな女の姿だった。

 ところで、元彼と付き合ってから5カ月。

 私たちは破局した。

 12月のことだった。

 年が明けて2021年1月。

 三賀日に出勤し、初詣に行くことも実家に行くこともできなかった。

 生活が懸かっていたのだ。

 仕事漬けの毎日で生きる意味を見失った。

 定期預金の150万円があれば、多少はゆとりある生活を送ることができただろう。

 これは代償なのだ。

 3月になると、自殺願望が頭を擡げる。

 過食症を発症し、肌が荒れて、手先にいくつもささくれができた。

 それでも、勤務先では始終笑顔を絶やさなかった。

 入店音が鳴ると、「いらっしゃいませ」と明るい声音でお客様を迎える。

 死のう。

 仕事中、死ぬことばかり考えていた。

 勤務先とアパートの往復だけの日々。

 刺激がない生活で心が壊れた私はどこかに高層建築物がないかを目で探しながら、道を歩いていた。

 そんな私を救おうと、Twitterのとあるユーザーが私のTwitterアカウントにDMを送った。

 「死にたいんだろ? 引越し代は俺が工面してやる。だから、名古屋へこいよ」

 そのユーザーと私は後に付き合う。

 彼と何度か通話して、名古屋へ引き越す決意を固めた私は勤務先を退職。

 引越し業者を手配して、大阪から名古屋へ引っ越しした。

 名古屋へ引っ越し後は元彼の実家で暮らすことになった。

 そこで暮らすうちに私は元気を取り戻した。

 彼がいなければ、私は間違いなく死んでいた。

 ――二重瞼から端を発するこの地獄。

 美の旨味を知らなければ、私は普通でいられて、定期預金を使い果たさなかった。

 もう後戻りはできない。

 ちなみに、美容整形は足し算と引き算のバランスだ。

 不満な顔を弄るという足し算だけが全てではない。

 己の個性を把握し、それを弄らないとの引き算もすることで自然な顔が完成する。

 美容整形を繰り返すと、整形顔と表現される無個性な顔ができあがってしまう。

 要するにほどほどが大切なのだ。

 体型、顔。

 人は内面よりも外見で判断される。

 外見がよければ、相手はその人に「賢そうだな」とか「性格がよさそうだな」というような印象を抱く。

 悲しいかな大半の人間がそうだ。

 「容姿」で差別され続けた私の人生を「容姿」が拘繫するようになり、気づいた時には私の「容姿」に惚れた人間だけがいた。

 そんな人々に囲まれていると、私の姿形を罵倒した元彼を思い出す。

 ――私は、私だけは人を外面で判断しない。

 外面が表面上はどれほど整っていても、内面が悪ければ、外面にそれが現れることを知っているからだ。

 ああ、もううんざりだ。

 美醜に執着する人生にはもううんざりだ。

 私はそろそろ自分らしく生きたい。

 最後に私の顔を掲載する。

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地獄周遊

2022年という地獄

 2022年が終わりに差しかかろうとしている。

 私にとって、2022年は地獄のような1年だった。

 いい出来事よりも悪い出来事の方が圧倒的に多い。

 ――今年を振り返ると、ぞっとする。

 そんな身の毛もよだつ今年をざっと振り返ることにする。

警察署で年越し

 2021年の大晦日

 元彼の実家で元彼の実母、元彼と私の3人は酒盛をしていた。

 酒盛はとても盛り上がり何事もなくお開きとなると思われた。

 ――だが、上手くいかなかった。

 私と酔いが回った元彼が些細なことで対立して、しまいには暴力沙汰に発展する。

 その後、暴走列車と化した元彼が「死ぬ! 死ぬ!」と喚き始める。

 元彼の実母が元彼を懸命に説得したものの、彼は聞く耳を持たなかった。

 元彼が「……ベルトで首を吊る」と言い、自室にどたどたと向かった。

 元彼が狂言自殺する毎に私はため息をつく。

 それでも、彼の身にもしも何か起こったらと思わずにはいられない。

 不吉な予感がして、居ても立ってもいられず彼の自室に私は行って、彼の部屋の扉を何度も叩いた。

 しかし、返事がない。

 悪い予感がますます募る。

 まさに打つ手がない状態だった。

 一方で元彼の実母は途方に暮れていた。

 私は悩んだ末に受話器を手にした。事態を打開するために110番通報することを決めたのだ。

 以降、躊躇なく私は110番通報した。

 「はい。どうなさいましたか」

 「同居人が自殺を図ろうとしているんです! 至急ここに駆けつけてください!」

 「分かりました」

 それから、マンションの情報を警察官に伝えて、受話器を置いた。

 その直後だ。荒々しい足取りで自室から元彼が姿を現した。

 「お前!! 110番通報をするだなんて!! 一体何を考えているんだよ!! 俺が警官を嫌っていることをお前は知っているだろ!?」

 元彼は戦慄して蒼白になる。

 また、私を睨めつける瞳には憎悪の色が浮かんでいた。

 私はしかめっ面になる。

 元彼に反論しようと考えたが、激昂している彼に私の思いが届くとは到底思えなかった。

 私は元彼を横目で見た。

 元彼に言い返しても無駄だと口を噤む。

 そうして、警察官がマンションに到着するまでの間、不愉快な時間が続いた。

 警察官がマンションにやってきた。

 元彼は既に冷静さを取り戻して、警察官の質問に淡々と答えていた。

 私たち3人は事の顛末を彼らに聞かれる。

 その後は事情聴取のために、元彼と私はパトカーで警察署に向かった。

 警察署に着いた私たちは取調べ室にすぐ通された。

 双方が暴力を振るったことやアルコールを飲んでいたこと――見ての通りで事件性があるからだ。

 取調べ室のパイプ椅子に腰を下ろす。

 アルコール濃度をまず計測された。

 私の体内からは基準値を下回るアルコールが検出され、元彼の体内からは基準値を遥かに上回るアルコールが検出された。

 「彼氏さん、あれだけの量を飲んでいながら、よく饒舌に喋るね」

 元彼のアルコール濃度を計測した警察官が私の所にやってくるなり喫驚した様子で私にそう話した。

 私は苦笑した。

 それから、警察官に酒盛のことを尋ねられて、暴力沙汰に発展した経緯を問われた。

 事の発端は元彼に私がみぞおちを勢いよく蹴られたことだった。

 それにカチンときた私が彼の顔面を蹴り返したことでこのような問題が起こってしまった。

 警官にこのことを話すと、「その場合だと、彼氏さんもお嬢さんも傷害罪に抵触していますね」深刻な表情で彼は私にそう話した。

 「……はい」

 「彼を告訴しますか? ちなみに、彼氏さんがあなたを告訴するつもりはないそうです」

 「……いえ。私も彼を告訴しません」

 こうして事情聴取はひと段落着いた。

 取調べ室から警察官たちがぞろぞろと出てゆく。

 右手首に装着した腕時計をちらっと見ると、時刻は午前0時を回っていた。

 「お嬢さん」

 取調べ室に留まった1人の若い男性警官が私に声をかけた。

 「――元旦をお巡りさんたちとこうして迎えるとはね。お嬢さん、本当にご苦労様」

 彼はそう言って、私に憐憫の眼差しを向けた。

 私は俯くしかなかった。

 それから、全てがやっと片付き、私たちはパトカーでマンションへ戻ってきた。

 2022年1月1日。

 今年の元旦を元彼と私は警察署で迎えたのだった。

破局

 最悪な形で幕を開けた2022年。

 大晦日の件から2カ月後。

 元彼と私は破局した。

 付き合ううちに様々な問題に遭遇し、解決困難な状態に陥った。

 私たちは未熟だった。

 2月某日。

 私たちは互いに納得するまで話し合い、円満に別れた。

 その時にこの先何があっても、復縁も連絡もしないという契りを私たちは交わした。

 破局して数日後。

 私は名古屋を引き上げて、地元の大阪へ戻った。

2月から12月まで

 名古屋から実家に戻った私を家族は暖かく迎え入れてくれた。

 大阪でまた頑張ろう。

 地元で私は心機一転再び暮らし始めた。

 大阪に戻ってきた私は友人にまず会ったり家族と過ごす時間を楽しんだ。

 それ以外には湘南美容外科に連絡し、瞼の脂肪取りを行った。

 これらが2月の主な出来事だ。

 3月は友人とカラオケに行ったり母親と加太に行って海を眺めた。香水を収集したり頻繁に外出したり楽しい時間を過ごした。

 4月は名古屋へ脱毛に行き、懇意だった男性とそこで会った。これ以外に特筆すべきことはない。

 5月は母親と喫茶店に行った。この他には中学校時代から仲のいい友人と数カ月ぶりに会って、薬局に行ったりカラオケに行ったりした。

 楽しい5月が終わって6月。

 地獄が始まる。

 双極性障害躁状態鬱状態を繰り返し、気持ちが安定しなかった。

 朝が怖い。

 起きることが怖い。

  ソファで眠り、1日を過ごす日々が続いた。

 こうした日々が長期間続き、双極性障害という精神病の恐ろしさを肌で感じた。

 9月。

 私の飼っていたハムスターの禅くんが虹の橋を渡る。死因は老衰だ。この出来事が私の病状を悪化させた。

 そうして、9月下旬。

 遥香という女性にTwitterのアカウントをフォローされる。この出会いが私の人生を大きく変えた。

 遥香のことは改めて書く。遥香のことを書くと、長くなるからだ。

 彼女はもうこの世にいない。この世に遺されたものは遥香が私に遺した言葉と、遥香が私に向けた愛の2つだ。

 遥香が命を絶った10月5日は私の誕生日だ。

 彼女の遺族に私は責め立てられた。

 私は反論せずに遺族の言葉をただ黙って聞いていた。

 遥香亡き後は彼女へ向けたブログを開設する。彼女への思いを数十日間そこに書き記した。

 そんなある日。

 どん底まで落ち込み遥香の跡を追うことを考えた。

 遥香と連呼して、啼泣した。

 遥香の死に加えて、双極性障害の症状に振り回されていた。あの頃を振り返れば、アップダウンの激しい一日一日だった。

 どん底を味わった11月だが、東京へ行って、気分転換を図った。苦しいことばかりではなかった。

 11月は過ぎ去り、気づいたら12月だった。

 12月も相も変わらず憂鬱な気分で自殺念慮が消えなかった。このことを医師に相談して、薬を増やしてもらった。

 薬を増やした結果気が晴れて、自殺念慮がたちまち消えた。

 すると、次はストレスが原因で文章が読めなくなる。

 ああ、私はもう終わりだと思った。

 そんな私に希望の光が灯る。

 栄養ドリンクと出会ったのだ!

 これさえ飲めば、ストレスが吹き飛ぶかもしれない! 文章が読めるようになるかもしれない!

 胸を躍らせる。

 栄養ドリンクを私は飲み始めた。

 それの効果は素晴らしく元気に溢れた生活を今は送ることができている。

 ところで、現在は病状が安定している。

 2022年。

 タイトル通り地獄を周遊しているような1年だった。

 2023年が今年よりもいい1年になることを願っている。

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創作の才能

漫画家になりたかったあの頃

 見出し通りだ。

 小学生だったあの頃の私は少女漫画家になりたかった。

 ラブストーリーを考えることと、絵を描くことが大好きだったからだ。

 暇さえあれば、物語の草案やプロットなどをノートにたくさん書いた。

 それらの作業が一段落つくと、コピー用紙にイラストをいっぱい描いた。

 少女雑誌を定期的に何冊か購読して、連載されている少女漫画を貪るように読む。

 少女漫画家という職業への憧憬――。

 私の霊魂に蒔かれた憧れという種子は発芽して、少女漫画家との職業はただの憧憬から、私の将来の夢にいつしか変化した。

挫折

 この人生で私が初めて意識した将来の夢――それこそが少女漫画家になることだった。

 脳内で奔流するアイデア

 左手に握ったシャーペンを動かし、右手に握った消しゴムを動かす行為を繰り返す日々。

 叶えたいと切望する夢。

 手に入れたいと熱望する物。

 それらを見つけた時に人は自ら邁進してゆける生物だということを帰らぬあの日々を通して、私は学んだ。

 中学校への入学までこうした日々が延々と続いた。

 延々とそれまで続いたこのような毎日――。

 私はそこで挫折を味わう。

 自分には画才がない。

 幼少期から絵を描き続けて、気づいたら、小学校高学年だ。

 客観的に自分の絵を分析すると、幼少期から絵を描き続けてきたとは思えないほど画力が生煮えなのだ。

 その事実に直面した瞬間だ。

 暴風雨に曝された大木が勢いよく折れた情景が頭に浮かんだ。

 少女漫画家になる。

 私の将来の夢がたちまち潰えた。

 机上に散乱する原稿用紙、スクリーントーン、倒れたデッサン人形に散らばる消しカス――。

 ――ああ、数年来の努力が水泡に帰した。

 私によって描かれた愛らしい1人の少女がどことなく哀愁漂う微笑を私に向けていた。

出会い

 少女漫画家になり、素敵な少女漫画を読み手に届けるという私の夢。

 それが呆気なく終わった。

 夢を諦めてからの私はぼうっと過ごすようになった。

 生熟れな自身の画力。

 その一方で奔流するアイデア

 水瓶から溢れんばかりの思いをどうにかして昇華できないものか。

 そう思い悩む私に救いの手を差し伸べたのがケータイ小説サイトだった。

 それから、俗にケータイ小説と呼ばれるライトノベルの存在を知った。

未知の世界

 中学校に入学して、間もなかった頃だ。

 自宅の一角にあるデスクトップパソコンを使用する権限が家族から与えられた。

 慣れない挙動でそのパソコンを起動して、インターネットという未知の世界に私は足を踏み入れた。

 ちなみに、そのパソコンはとにかく低スペックなために、サイトを1つ開いただけで画面がフリーズする代物だった。

 インターネットにアクセスする行為。

 私にとって、それは今や当たり前の行為なので、それに関して、現在は特に何も思わない。

 だが、当時の私にとり、インターネットにアクセスする行いは洞窟探検も同然の行動だった。

 その洞窟を探検し、今まで経験したことのない出来事に私はたくさん遭遇してゆく――。

 YouTubeで動画を視聴すること。

 Twitterでアカウントを作り、人をフォローすること。

 アメーバブログを開設し、ブログを書くこと。

 インターネットを通して、自分の世界が徐々に広がってゆく感覚――。

 それが非常に面白く、私は沼にはまっていった。

 これは余談だ。

 私が中学生だった当時はアングラサイトがぽつぽつと存在していた。

 危険な香りを放つアングラサイトたち――。

 そうしたサイトに興味本位で私はアクセスしていた。

 当時を振り返ると、現在のインターネットは清浄化されたと感じる。

 それはさておき、パソコンを活用し始めてから、私の生活はがらりと変化した。

小説投稿サイト

 そんなある日のことだ。

 小説家になろうで作品を公開しておられた方から、Twitterのアカウントをフォローしていただいた。

 小説家になろう? 初めて耳にするサイトである。

 これが一体何なのか気になった私はこのサイトをGoogleで検索した。

 小説投稿サイト――……。

 ネット上にはそんなサイトが存在するのか! と驚愕したことを数十年が経った今でも鮮明に覚えている。

 水瓶から溢れんばかりの思いが体内を激流する感覚……。

 少女漫画を描き、ラブストーリーを産出して、読み手にそれを読んでほしかった私。

 漫画は不向きだった。

 だが、小説ならば、少しは適正があるかもしれない。

 小説という媒体への希望が胸に宿り、「恋愛小説 小説投稿サイト」で検索した。

 検索して、検索結果一覧のトップに躍り出たサイトは野いちごというケータイ小説サイトだった。

 野いちごにアクセスすると、画面一面がピンク色に染まった。

 ! ここだ!

 野いちごとは、小説を書いてゆく上で、私が求めていたプラットフォームだ!

 胸が躍った。

 ここで小説を書いている自分の姿。

 それを想像すると、とてもわくわくした。

 会員登録をさっそく済ませる。

 野いちごでのペンネームはアメーバブログTwitterとで用いているハンドルネームと同一の名前にした。

 そうして、私の創作活動が幕を開けたのだった――。

下手な文章、逃避、ランキング入り

 野いちごで公開した処女作は入念にプロットを組み立てた、登場人物の設定が細やかな作品だった。

 処女作でなおかつ小説のいろはも分からず書いた作品だ。

 今読み返したら、目も当てられない小説に違いない。

 小説――文章をその当時実際に書いてみて私が感じたことは、文章を書くことは楽勝という安易な実感だった。

 本格的に文章を書き続けて、今や数年になる。

 文章と真摯に向き合ううちに文章の奥深さを知った。

 日本語をもっと知りたい。

 日本語の技巧を磨き、日本語を巧みに操れるようになりたい。

 私の熱意は文章から、日本語という言語そのものへ志向した。

 その向上心は今もなお全く薄らいでいない。

 話を戻す。

 処女作を公開し、何作かを以後も公開した。

 PV数が増えることが当時は純粋に面白かった。

 読者が順調に増えて、快調に伸びてゆくPV数。

 難儀なことにそれが原因で、自分の編み出す文章は優れているという勘違いが私の中で生まれてしまった。

 ところで、この頃、スマートフォンを母親に買い与えてもらった。

 それを機にTwitterに入り浸るようになった。

 そうして、小説を書くことを私は中断した。

 小説を書くことを中断した私はTwitterに引きこもるようになり、物書きから、ツイ廃と呼ばれる人間に豹変した。

 アメーバブログを閉鎖して、創作と距離を置いた。

 こうした生活に転換したことで、創作仲間との関係が自然消滅した。

 数年もの時を経て、一昨年辺り。

 恋愛小説を野いちごで再び書き始めた。

 国語辞典を引きながら、苦心惨憺して、その小説を書いた。

 お世辞にも上手とは言えない拙劣な恋愛小説だったが、完結にまで何とか漕ぎ着けた。

 完結ボタンを押した瞬間だ。

 怒涛の勢いでPV数が伸び始めた。

 それに吃驚して、画面を幾度もローディングし、伸びゆくPV数を飽きることなく見守った。

 数日後。

 野いちごの総合ランキング上位に自作が掲載されている事実を知った。

 人生で初めて総合ランキングに、それもランキング上位に自作がランクインしたこと。

 それが自分の能力に自信を持つきっかけに繋がった。

 野いちご以外でならば、魔法のiらんどでも恋愛小説を書いた。

 魔法のiらんどでも自作が何度かランクインした。

 ――私には画才はないが、文才はそれなりには備わっている。

 小説を何度か書いて、そう確信した。

 物語を産出する己の才能もこれが裏づけた。

 今は創作を休んでインプットに専念している。

 音楽を聴き、本を読み、映画を鑑賞する。

 知識がしっかり蓄えられて、見識が十分に広がったら、新たな物語をまた作る。

 私が叶えたかった夢と好きなこと――。

 それらをここに記せてよかったと思う。

 書くことが何かあれば、また筆をとる。

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誕生日を迎えてから

誕生日を迎えて以後の変化

 10月に誕生日を迎えて、早いもので1カ月が経った。

 これからはしっかり生きてゆく。

 そう考えて、映画鑑賞を以前にも増してこなし、読書にも励むようになった。

 見ての通り今の私はアウトプットではなく、インプットに専念している。

 1つの物語を書くためには知識を蓄え、思考を熟成させることが欠かせない。

 人生を変えようと考えて、教会に通い、日曜礼拝に参加してみた。

 だが、イエス・キリストという神とされる存在を私は信じていないことが分かった。

 信仰されるべき存在は神ではない。

 日曜礼拝に参加していた時に牧師さんの唇から紡がれる新約聖書の聖句を聞きつつ、二階堂奥歯の日記の一文を私は思い出していた。

 クリスチャンの素質が私にはないと悟った。

 宗教ではない。

 私のことを今まで救ってくれたものはイエス様の御言葉ではなくて、人間の生きた言葉だった。

 そのことに気がつき、教会に通うことをぱったりとやめた。

 ところで、新たなジャンガリアンハムスターを私は飼った。

 その子を優志と命名した。

 優志は非常に臆病な性格で私が体に触れようとすると、巣箱の中に身をさっと隠してしまう。

 そんな優志を手懐けるべく、3日に一遍この子にいりこをあげているのが現状だ。

 優志に懐いてほしい。それが私の今の願望だ。

持病の双極性障害について

 数カ月前からである。持病の双極性障害が数年前より悪化している事実を実感するようになった。

 主症状は抑鬱

 希死念慮が心に巣食い、起きていることを異常に恐れる。

 動くことがとにかく億劫でソファで眠って過ごす日々が続いた。

 私の双極性障害はⅠ型ではない。軽躁状態鬱状態とを繰り返す双極Ⅱ型障害だ。

 自分の双極性障害の正体が双極Ⅱ型障害ということに気づいたのは病気と真摯に向き合った成果だ。

 このブログを書いている現在、調子がいい。

 そんな自分の状態が安定状態なのか軽躁状態なのかを判別できていない。

 Ⅱ型はⅠ型に比べて、病状を判断することが難しいのだ。

 21日。

 その日は小説を数作品読みこなし、アマプラで『樹海村』を鑑賞して、夕刻に軽い散歩に行った。面倒なシャワーもすぐに浴びることができた。

 これは安定状態だからなのだろうか。

 軽躁状態だからなのだろうか。

 ところで、振り返れば、今日に至るまでに様々な出来事があった。

 ――統合失調感情障害と診断された在りし日。

 ――医師から薬を多量に処方された在りし日。

 ――処方された多量の薬を溜め込み、全てを飲み干して、自殺を図ることを考えていた過去。

 メンヘラと呼ばれる仲間に囲まれて、安息を得ていた10代の頃の私。

 病気はファッションではないこと。

 病気はステータスではないこと。

 当たり前のこれらが10代の頃の私には分からなかった。

 これらが分からなかったが故に、持病を完解させる意志が微塵もなかった。

 気のせいだろうか。病気と真剣に向き合い始めてから私をサポートしてくださる方が増えたように思う。

 疾病の完解を目指して、現在は投薬を日々欠かさず継続している。

 ちなみに、双極性障害を患う人間が投薬を怠ると、果たしてどうなるのか。

 それを患う私が投薬を怠っていた時期に起こってしまった悲劇をここに挙げる。

 1つ目は躁状態に陥り、ブレーキがまるで壊れたように性的に放縦になった。

 2つ目は躁状態に特有の何も恐れぬ気持ちから地下鉄の線路に飛び込んだ。

 3つ目は酷い鬱状態から自殺を何度も図ろうとして、精神科病院に幾度も入院する羽目になった。

 だが、薬をきちんと飲み始めてから列挙した行為がたちまち落ち着いた。

 精神薬とはこのように病人の命を現世に繋ぎ止める命綱なのだ。

 さて、この持病の原因をただ今からさらに掘り下げる。

 私は軽度の発達障害者だ。

 計算能力が低く、物忘れが目立つ。

 発達障害の特性が原因で、日常生活に何かと支障をきたしている。

 双極性障害を発病したのはその二次障害だと主治医から診断された。

 発達障害者の私を産んだ母親。

 発達障害者として、この世界に私は生まれ落ちたが、両親のことが私は大好きだし、彼らのことを私は全く恨んでいない。

 彼らが私の両親でよかった。

 私は心からそう思っている。

 ――読者の方に私が最も知っていただきたかったこと。

 それこそが私の疾病についてだったのだ。

このブログに次回書く予定の内容

 このブログに次回書く予定の内容は自分の父親のことかもしれない。

 父親のことではなくて、日常のことを書くかもしれない。

 そういえば、数日前に東京に私は小旅行した。その記録を忘れぬうちにここに記すのもいいだろう。

 これまでに付き合った男性のことや自分の悲惨な過去。

 ネタはまだまだたくさんある。

 ともかく現時点では書くネタがまだ定まっていない。

 お楽しみにというわけで、今回の記事をこれにて締めくくることにする。

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自己紹介と過去

自己紹介

 別名義でブログ記事をこれまで何度か書いてきた。

 この名義――霧生莞爾(きりゅうかんじ)名義でブログ記事を書くのは今回が初めてだ。

 私についてまずは書くこと。それが適当だと考えた。

 とは言いつつも自己紹介というものに慣れていないため、何を書けばいいのか分からない。

 ひとまず簡潔な自己紹介を記すことにする。

 私は平成11年の秋生まれだ。性別は女性。私の性別をこの名前から男性と推測された方もおられるだろう。

 趣味は映画鑑賞と読書だ。

 映画は邦画のサスペンス、ホラーなどをよく鑑賞している。最近は『前科者』と『残穢』を鑑賞した。

 小説は日本近代文学をよく読んでいる。海野十三蘭郁二郎青空文庫で貪るように読んだ。

 読書家と名乗りたいが、周囲に比べると本をあまり読めていない。

 が、Kindle unlimitedの会員になったので、以前にも増して本をたくさん読める環境が整った。これからは本をもっと読んでゆくつもりだ。

 簡潔な自己紹介は済んだ。ただ今からは私の過去を書く。

私の過去

 私は俗に言うメンヘラだった。かつての私は精神疾患をアクセサリーのように扱い、診断名が増える毎にそれを喜ぶ悲しき女性だった。

 また、処方された薬を溜め込む。溜め込んだ薬で、自殺する計画を立てていた。

 市販薬をオーバードーズする。

 剃刀の刃を震える手で手首にあてがう。

 Twitterにそれらを投稿して、フォロワーからの同情を買い、哀れな自己承認欲求を満たすことも考えていた。

 死にたいと生きたいとが現在よりもせめぎ合っていた。

 ネットニュースに掲載されたほどの自殺を数年前に図った。

 死に損なったことを当時は酷く悔いていたが、死に損なってよかったと現在では思っている。

 紆余曲折を経て、病気を完解させることに現在は専念している。

 いいことは何もなかった。

 市販薬、パチンコ、煙草と酒に縋れば、この人生は豊かになるかもしれない。

 その可能性に賭けて、これら一切に私は手を染めた。ちなみに、今の私は煙草以外の全てから足を洗った。

 市販薬を飲むと、多幸感が得られる。しかし、離脱症状がきつい。この後遺症で睡眠障害を私は発症した。

 パチンコは演出、音響とフラッシュがドーパミンを分泌してくれる。多幸感と引き換えにパチンコ店を出た後の侘しさや負けた後の寂寥感が心を襲う。

 私の体には酒は合わなかった。飲むとしんどくて、虚ろになるだけ。

 以上に述べた理由から市販薬、パチンコと酒からは足を洗った。

 ところで、私の人生は気苦労が絶えない。男性遍歴、人間関係。これらについてはここに追々書いてゆこうと考えている。

 Twitterで自己を発信することが当たり前だった私にとり、ブログ(Twitterの趣旨もミニブログだが)だけで情報を発信してゆくことには物足りなさを感じるかもしれない。

 だが、ブログは文章の修練になる。

 これから書いてゆきたいのは飼っているハムスターのこと、通院のこと、読書のこと――ともかく日常についてだ。

 また、ブログのみならず、魔法のiらんどで小説も書いてゆくつもりだ。

 来年までTwitterには戻らないつもりでいる。

 以前運営していた名義のアカウントで己の心をすり減らして、建前しか言えなくなっていたことに疲れたからだ。

 さて、今回はこれでとりあえず筆を置く。

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